元公務員naokoの副業検証

元超お堅い公務員のブロガー&アフィリエイターが副業検証!

公立大学卒の元公務員が副業を検証・法律家を目指した ナオコの何でも相談室〜震災→公務員への道、子育てしながらの仕事〜

[第2話]

f:id:naokoblog:20220214235232p:plain

 



震災→公務員への道。

進学先を決めた私は、3ヶ月間避難所での生活を強いられたのです。

避難所の掃除。

救援物資の整理。


いろんな家族とも仲良くなる中で、
多くの被災者達の笑顔も戻っていったのでした。

 

そんな私の記憶に刻み込まれたのは
自衛隊の隊員さんたちの勇気と笑顔です。

 

小学校のグラウンドにテントを張り、お風呂の設営。
毎日あたたかい食事とたくさんの勇気と笑顔。

 

f:id:naokoblog:20220214235936p:plain

 


私たちがどれほど救われたかわかりません。

 

家族を家に残しながら、
危険な神戸で私たちを常に励まし救ってくれたのは自衛隊の方々でした。

 

私たちにあたたかい食事を出し、
自分たちはテントの裏で冷たい缶詰を食べていました。

 

多くのあたたかい笑顔。

あたたかい食事。

あたたかいお風呂。

 

でも、彼らは風が吹くなか冷たい缶詰で食べながら
私たちを支えてくれたのです。

 

 

f:id:naokoblog:20220214235911p:plain

 

 

夢を諦めた私

検事という夢を諦めた私

 

でも、

 

困っている人の役に立てるような仕事に就きたい

 

という新しい夢が生まれたのです。
それが新たな夢の始まりだったのです。


そして私は人に役立つ仕事にチャレンジしましたが、
実は全てが不合格でした。

 

初めての大きな挫折があったのです。
なんとなく合格してきた私に不合格の嵐が吹き荒れたのです。

 

そんな中、
私を拾ってくれる民間企業に行くことを決め、
社会人としての一歩を踏み出したのです。

 

その企業はベンチャー企業ということもあり、
また違うワクワク感があったのも事実です。

 

しかし蓋を開けてみると、
中身はまあまあ過酷な環境で、

気がつけば同期が一人、またひとりと辞めていきました。

その中に私もいたのです。

 

そんな風に回り道をしながら、
公務員になる道を目指し始めたのでした。

 

公務員として超堅い職場にいたワタシ。

f:id:naokoblog:20220214235848j:plain

 

アルバイトをしながら公務員試験を受けるために猛勉強しました。

あの挫折は二度と繰り返すまいと。

 

そんな私に、
通っていた公立大学の産休の臨時職員の話が舞い込んできました。

 

思えば叶うを実感した瞬間です。
目指していた私に運が開けてきたのです。

 

公務員の臨時の仕事をしながら本格的な公務員試験の勉強をし、
夢である、超お堅い某公務員の試験を受けました。

 

なんとそのまま採用試験に合格し、

私の夢であった、
人の役に立つ公務員としての生活をスタートさせることができたのです。

 

職務上、退職をした今でも
具体的な職種をここで書くことができないので、
みなさん想像してください。笑

 

公務員として勤務した4年間、
イメージしていたのとギャップがあったのも事実です。

法律についてはかなり勉強しました。
男社会の中で女性の私も頑張りました。
しかし男社会の中で女性であることを悔やむこともありました。

 

私はそんなギャップの狭間で
人の役に立つということについて一生懸命努力し、
非常に良い時間を過ごしました。

 

その中で一番良い出来事は、

 

憧れの仕事でたくさんの勉強して、知識を得て、
何よりも
同じ職場の5歳年下の安定職業の旦那さんを手に入れたことです。笑

 

f:id:naokoblog:20220214235803j:plain

 


不規則な時間帯の勤務もあり、
私は退職することを決断し、結婚。

翌年長男を出産しました。

 

今は幸せに3人で暮らしています。

 

5歳年下の夫は子煩悩で共通の趣味もありながら厳しい一面もあり、
今では長男と少し軋轢もありますが、
不規則な勤務の中でたくさんの育児をしてくれ、
私は感謝しています。

 

長男が1歳になる前から保育園に預け、
育児と家事をほぼワンオペでこなしてきました。

 

そんな夫を支えながら私は家事、育児、仕事に奔走していたのでした。

f:id:naokoblog:20220214235247p:plain



 

子育てしながらの仕事。

私にとって子育てが第一優先でした。

子育てを優先しながらできる仕事は限られているので、
選択の幅は狭まったかもしれません。

そんな中見つけた職業は接客業でした。
堅い公務員の仕事が染み付いた私には驚きの連続でした。

 

民間企業の接客は、常にお客様ファースト。

 

接客に携わる中で、
お困りのお客様やご年配のお客様のご要望に沿った対応ができた時は
すごく充実した時間を過ごすことができました。

 

あなたに聞いてよかった。ありがとう。

 

そう、私はやっぱり人の役に立てる仕事がしたかったのです。

 

人に喜んで欲しい

周りを笑顔にしたい

社会の役に立ちたい


転職するときも常にその希望が叶う企業を探しました。

 

息子が6年生になった時フルタイムの仕事で採用され、
大手通信会社のスタッフとして働いたことがあります。

 

そのときに事件は起こったのです。

 

 

f:id:naokoblog:20220214235746p:plain

 


給与も地元ではトップクラスで待遇は非常によかったのですが、
そのお仕事はお堅い金融関係のお客様対応でした。

この業務の大変さを身をもって痛感することになりました。
それは全てを数値管理し、
業務に対する効率を追究されたのです。

 

そんな環境の中で、私は仕事中心の生活になり、
徐々にそのストレスが私の精神を蝕んでいったのです。

 

そのとき、事件は勃発しました。

 

仕事が休みで自宅にいたある日、
息子が体調不良で家に帰ってきていたことにすら
気づいてあげられていなかったのです。

 

度重なるストレスで
婦人科系疾患をも引き起こしていました。

突然月経がなくなり、
再開したと思うと経血が大量のまま止まらなくなったり、
貧血に襲われ、
ホルモンバランスも崩れて言ったのです。

自分自身のことが分からなくなり、
医師からは抑うつと診断されたのです。

 

ストレスが心を蝕み悲鳴を上げていたことは
なんとなく私にもわかっていました。

 

しかし、経済的なこともあり
働かなければいけない
でも、
心身は悲鳴を上げている
という八方塞がりの状態でした。

 

心の病は、夫にも息子にも負担をかけ、
私の最も大切な家族を脅かすまでになっていったのです。

子供や、夫にも目を向けられなくなった私を後悔しました。。

私は仕事を退職しました。


f:id:naokoblog:20220214235721j:plain

 

こんな私が副業を考えるようになったのはなぜか?

[第3話]でご覧ください。